「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

鮭をさばく

今日は、紋別で買ってきた、鮭の干物(と言っていいのかどうか、さっと塩をして軽く干してあります。)をさばきました。鮭をさばくのは初めてだったけど、大きいので楽に三枚にすることができました。

一番美味しそうなのは、脂ののったカマとハラス。鮭一尾でたったの1050円。明日は、サーモンとほうれん草のクリームソースのタリアテッレを作りましょう。

「つぶ貝」って小さいから「つぶ」って言うんだと思ってた...

「オホーツク」を「Okhotsk」って綴るのは知りませんでした。

2月14日から二泊三日で、北海道オホーツク紋別に行って来ました。羽田空港から一日一往復、全日空便が飛んでいるので、想像以上に東京からはアクセスが良いところです。その代わり、紋別は電車が通っていないので、東京までは1時間50分なのに、札幌まではバスで4時間半。

流氷観光が有名になって、中国、台湾、韓国のツアー客がぞくぞくと流氷観測船「がりんこ号」に乗って来ていました。町の観光案内も日本語と中国語との併記。案外と国際的な観光地なのでした。

しかし、あいにくの流氷は、船に乗った15日だけ、はるか沖に流れさってしまって、せっかくの「がりんこ号」(本当は、船の先についた二双大きなドリルでガリガリと流氷を砕いて進むはず。)は、「青海航海」でドリルが活躍することはなし。

遠くからわざわざ流氷を見に来たのか、船の甲板で「あーあ…」とがっかりしている小さな息子にお父さんが「自然なんだからね。仕方のないことなんだよ」と言っていて、その子と同じ気持ちだった私も、恥ずかしながらしっかりと教えられました。

ホスト役の学校の同級生のM君によると、流氷は緑色とも青ともつかない色をしていて、春先に海岸に打ち上げられた氷の山は多い時には家の二階の高さまでに達するとか。オホーツクの海はアムール川から流れる水で薄められ、しょっぱくなくて、お出汁のきいたお吸い物のような味がするそうです。ホタテはいるけど、アワビは育たない。

オホーツクで捕れた貝もカニも、お魚もみんな美味しかった。


ごっこ」鍋。黒いプリプリの身と、タマゴを鍋に入れてトローリ。

「No Hair Day」のカード

アメリカで見つけたカード。化学療法で髪がなくなったお友だちに送るんでしょうね。

「髪の毛ないデー」でも、ホント、あなたって素敵。
「I swear you even look GOOD on a "No Hair Day"」

カードの中面には、
「あなたは、いつも完全無敵でしょ?」
「Is there nothing you don't do well?!」
というメッセージが書いてある。

こんな風にあっけらかんとした心のこもったカードをもらったら、嬉しくて笑っちゃう。

ⒸRonnie Walter

大人の一日目、雪の日

昨日は、お昼までサラサラと雪が降っていました。

友人の18才のお嬢さんが、朝、窓の外の雪を見て、「あーあ、雪が降ってる、って憂鬱になっちゃった。」と友人に、「パパと一緒だね。雪の日が楽しいと思わなくなっちゃった、私。」とため息をついたそうです。

雪の朝、いつの間にか大人になった自分に気がついてしまったんだね。

立春大吉

「犬を飼うと、生きることとか、死ぬことって、どういうことなのかを見せてくれるね。今回、ギュネイのことがあって、感じたよ。」

立春の昨日、3週間ぶりくらいに、Skypeで話した息子がつぶやきました。去年の10月に年を越せないと言われて、お正月まで帰らない息子には会えないと思ったギュネイでしたが、会うこともできて、年が明けて彼がアメリカに帰るまで元気で、息子が旅立ったその日から具合が悪くなって5日目で死にました。

「今、ギュネイが死んだの。」と朝方の1月17日の朝方に国際電話をかけて報せた時には、「覚悟はしていたからね。苦しまなかったんでしょ?」

電話口で辛そうにしている私に、「お母さん皆、悲しんだから。それを忘れないでね。一人で悲しんじゃいけないよ。」

この一言にはっとさせられました。その通り。家族皆が同じ思いなんだ。

悲しみに酔っぱらってしまう前に、この言葉を言ってもらって良かった…

一方で、フィリピン育ちで敬虔なカトリック教徒のエリカは、ギュネイの亡骸をなでて、「ゴメンね。夜中の3時半におしっこ行きたいって言っているのに、『眠いから。もう少し後で…』なんて、朝の5時までトイレに連れて行ってあげられないこともあったね。あと、お散歩も少しさぼったこともあったね…」と号泣しながら次々に懺悔。

本人はもちろん真剣なんだけれど、不謹慎にも泣きながら吹き出してしまいました。

皆それぞれに、「命」を感じた3ヶ月。

流行りものとは縁がないと思っていたけれど。

今日は、国立北京中医薬大学日本校の「中医薬膳学」の授業。温かい日だったので、ほかほか歩くのも嬉しい。

10分程遅れて行ったら、いつになく教室が人であふれていて、ビックリ。何とか真ん中位の席に潜り込んで、顔なじみに「今日はどうして、こんなに混んでるの?」とささやくと、「見学の人が多いのよ。」

4月から入学を考えている人たちが一日体験受講をしているのでした。

先生方も、学生の多さに戸惑っています。大学が日本でスタートして以来、今年は記録的な生徒の多さだったそうですし、今日の見学者の人数を見ると、来年は今年どころじゃなさそうです。気がつけば、漢方、薬膳が空前のブームとか。

中医学は、想像していた以上に論理的な学問でした。勉強すればする程、奥が深くて、いつまでやっても「理解できる」レベルにならないのではないか、とただただ焦るばかり。

私の尊敬する一人の中国人の先生は、「中医学では、どれが『白』どれが『黒』とはっきりさせることはありません。状態はつねに変化するし、曖昧な部分も多いんですね。そこが学ぶ上で難しいところでもあります。でも、私は、この頃、白黒はっきりしない考え方というのは、人生を楽にさせることでもある、と思うようになりました。」とおっしゃった。

先生、何か辛いことでもあるんですか?

恥、かきかき…今日も

何日か前に、「Perfect Scars Book」のことを書きました。今でこそ、こういう写真を「綺麗だな」なんて余裕で見ていますが、何を隠そう、手術直後は自分の手術跡は見ることができませんでした。

家族の手術の傷跡さえ、何だか痛そうで見ることも出来なかった位だから、ましてや自分の傷跡なんて生々しくて正視できるものじゃあありません。

それが忘れもしない、手術後一ヶ月の検診の時(他の手術はわかりせんが、抜糸はありませんでした。縫った糸は溶けてしまうということでした。)、主治医に「じゃあ、手術のところ見ましょう。問題ないですね。うーん、縫ったところは丁寧に洗わないとだめですよ。」「それどころじゃないんです、先生。手術の跡を見ることができなくて…」と、悲哀に満ちた蚊の鳴くような声の私。

「皆、そう言うんだよね。でも、ほら。縫い目に垢がたまってるよ。これが、固くなって取れなくなっちゃう人もいるから、気をつけて。」と、淡々。

ああー!垢?!きゃー!傷跡が怖い、だの言ってる場合じゃありません。この主治医の一言のおかげで、悲劇が喜劇に大転換してしまいました。

それからは、一生懸命に傷跡を磨くことに精を出して、いつの間にか気がついたら、傷を見るのも平気どころか、鏡に映して「これもまんざらでもない。」と感じるまでにいたりました。人は、変化する前は恐いけど、変ったら変ったで慣れるものだということも習いました。

人間生きてれば、垢もたまるし、恥もかきます。今思い出しても、恥ずかしい…