立春大吉
「犬を飼うと、生きることとか、死ぬことって、どういうことなのかを見せてくれるね。今回、ギュネイのことがあって、感じたよ。」
立春の昨日、3週間ぶりくらいに、Skypeで話した息子がつぶやきました。去年の10月に年を越せないと言われて、お正月まで帰らない息子には会えないと思ったギュネイでしたが、会うこともできて、年が明けて彼がアメリカに帰るまで元気で、息子が旅立ったその日から具合が悪くなって5日目で死にました。
「今、ギュネイが死んだの。」と朝方の1月17日の朝方に国際電話をかけて報せた時には、「覚悟はしていたからね。苦しまなかったんでしょ?」
電話口で辛そうにしている私に、「お母さん皆、悲しんだから。それを忘れないでね。一人で悲しんじゃいけないよ。」
この一言にはっとさせられました。その通り。家族皆が同じ思いなんだ。
悲しみに酔っぱらってしまう前に、この言葉を言ってもらって良かった…
一方で、フィリピン育ちで敬虔なカトリック教徒のエリカは、ギュネイの亡骸をなでて、「ゴメンね。夜中の3時半におしっこ行きたいって言っているのに、『眠いから。もう少し後で…』なんて、朝の5時までトイレに連れて行ってあげられないこともあったね。あと、お散歩も少しさぼったこともあったね…」と号泣しながら次々に懺悔。
本人はもちろん真剣なんだけれど、不謹慎にも泣きながら吹き出してしまいました。
皆それぞれに、「命」を感じた3ヶ月。