「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

23回目の誕生日に

3月28日は、フィリピン生まれでフィリピン育ちのエリカの23回目の誕生日でしたが、その朝、彼女のメールボックスに大学の同級生が血液のガンで亡くなったという報せが届きました。

「ステージIIIと言われてから、まだ2、3ヶ月しか経ってないのに…そんなに進行が速いということがあるんでしょうか?」と動揺を隠しきれません。

頭がぼんやりして、思わず口に出たのは、「ご両親も、さぞ辛いでしょうね。」とありきたりで、エリカには何の慰めにもならない言葉でした。

「両親は、とてもショックだと思います。彼女は、奨学金をもらって大学を出て働き始めたばかりで、これからやっと家族全員が楽になる、っていう時だったから。お父さんは、建設現場で働いていますが、お給料は少なくて、お母さんは働くところはありません。小さい弟もいます。彼女の将来に皆、期待していたから。これから、家族はどうなるか…」

頭から冷水をかけられた気持ちで、思わずエリカの顔をじっと見つめてしまいました。

「お金があったら、こんなに早く死ななくてすんだかもしれませんね。フィリピンでは私立の病院は高くて、普通では行けません。公立の病院はいつも混んでいて、救急の患者が優先されて、行っても『今日は診察できない』とか『空いているベッドがない』とか帰されることもよくあります。ああ、どうしてこんなに早く死んでしまったのかしら。」

親が子どもの死を悲しむのに、こういう悲しみ方があるのだということを、病院で診てもらえることがすでに特権で特別なのだということを、隣の国で普通に起こっていることは私の「当たり前」とはこんなに違うんだ、ということを、そしてそこで生きている人たちの逞しさや強さを、まざまざと示された日となりました。