「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

シドニーのこの人もまた、魔女医?

シドニーホームドクターのクリニックを開業しているセリーナが、「東京に二日間だけ行くんだけど〜」と電話。

3、4年ぶりに表参道で会うなり、元気印の彼女。いきなりの爆笑ものでした。
「あらー!元気そうじゃない!!で、どっちなん?(ああ、彼女も日本語は広島弁。)」「え?どっちって??」「だ、か、ら。オーストラリアなんか、乳がん患者、手術した後友だちに会ったら『Guess! Which one?』ってなもんよ。」と町中に聞こえる大声で質問。(汗)
「あ、あの。左。」「ふーん、全然わかんないわよ。」
「そ、そりゃ、補正下着つけてるもん‥」
「なるほどねえ、reconstructionしてないん?」

おしゃれなカフェに座ってひとまずは、おたがいに近況報告。
「私も、日本に帰ったら、父親や兄弟の病院につき合ったり、主治医と話したり、あっと言う間に一週間なんてすぎちゃう。」
「日本の病院は待ち時間が長くて大変じゃない?ところで、セリーナは、ホームドクターでしょ?例えば、オーストラリアだと、自分が乳がんかな、と思うとホームドクターに行くの?」
「そうね。そういう人も多いわよ。それで、専門医を紹介して診断されたら、専門医、ホームドクター、看護師、シーシャルワーカーなんかで患者をケアするためのネットワークを作るの。最初からずっと一人の看護師が一人の患者の経過を看て、必要があれば私のようなホームドクターに連絡が入る。たとえば、抗がん剤の副作用で苦しい人の相談に乗ることもあるし。まあ、副作用の場合は余りやってあげられることがないのが実情だけど。」
抗がん剤の副作用は、結構辛かったわ。主治医は何かあったらすぐ連絡すること、と言ってくれたけど、彼らが忙しいのがわかるから、やたらのことで煩わせたらいけないって日本の患者は思っちゃうかも。そういう全体のことを見ていて相談に乗ってくれる看護師さんが中心のチームは心強いなあ。」

「手術を決める時にね、乳房とりますか?って何度も聞かれるは、嫌だった。乳房が命より大切なものとは思えなかったから、余計途方にくれちゃった。オーストラリアはどう?」と私。
「そうでしょ?オーストラリアでもそういうことはあるわよ。私は、娘に自分のアイデンティティをどこに持つか、しっかりちゃんと考えてほしい、って日頃から話してるの。個人の問題よねえ。でもねえ、おかしい話しがあって、お友だちにオーストラリアの元有名なグラビアモデルがいてね。やっぱり乳がんになっておっぱい取って再建したんだけど、乳輪をハート型にしたのよ!」
「ひえー!!乳輪って入れ墨するのよねえ。」
「そうなの。Tatto感覚でね。」
「(爆笑)でも、誰に見せるの??」
「ふふ、息子に見せたらしいよ?私も見せてもらっちゃった。見て、見て、って言うんだもん。」

オーストラリアは明るいんです、あくまで。スポーツクラブなんかでも、補正下着なしで平気の人もいるとか。そこで話題にのぼったのが、日本の温泉事情でした。これは、また明日書きます。