「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

この間の病院

前回の記事を書いていたら、呼び出しがあったので、いそいそと診察室の前まで行ったら、「今日は大変予約で込み合っています。私たち乳腺腫瘍科は医療グループで診察を行っています。S教授でない他の医師の診療をご希望の方は受付に申し出てください。」とありました。何ーだ、もっと早くこの張り紙に気がついていたら良かった。

「検査をお願いするだけなので、他の先生で結構です。」と言ったらすぐに若い女のお医者が診察室に呼んでくれました。前に入院中か、抗がん剤治療の時にお会いしたお医者でした。「どうしましたか?」「以前から咳がちだったので、放っておいたんですけど、昨年末から咳が止まらないので心配になって、来ました。」「以前に、喘息とか気管支炎とか言われたことは?」「ありません。時々、苦しいほど咳が続くのは10代の頃からですが、いつも検査をしても異常はないんです。」

「じゃ、今日血液検査で腫瘍マーカーをして、来週CT検査をしましょう。」
「CTの検査をしたら、例えば肺がん以外もわかるんでしょうか?」
「転位じゃなくても、肺炎、結核だったらわかります。」
「あ、じゃ一石二鳥ですね。」

という訳で無駄話もなく、あっさりとしたものです。社交辞令なし、気休めなし、ご自分の見立てもなし。さっさかと事務的に片付けてもらえて、かえって気持ちがすっきりと楽になりました。すると、喉も通ったようになって、その日一日はほとんど咳が出なくなりました。

「病は気から」。「気のせい」という言葉があります。「気のせい」って「勘違い」と混同していましたが、今まで私の理解が間違っていました。今勉強中の中医学(4月から北京中医薬大学の日本校に通い始めました。)上では、「気」は「見えないけど存在するもの」として考えます。

「気」と「身体」は確かにつながっています。迷信でもなく、スピリチュアルなことでもなく、信仰でもなく、もっと唯物論的に。お母さんに抱っこされた赤ちゃんが安心して眠れるように、治療をうけた患者が安心できるような診療が実現できないものかしら?