「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

今日の病院

今年の桜は遅くて、咲き始めたのが4月もとうに半ばになった頃。去年の桜はほとんど記憶にありません。化学治療のまっただ中だったのか、間隙を縫ってトルコに行っている間に咲いたのか?

二年前の桜は印象的でした。4月10日に胃がんで亡くなった姑が「願わくは花の下にて春死なん」と西行の歌を亡くなる少し前につぶやいていたからです。

義母は年末に胃の摘出の手術をしましたが、おなかを開けた時にはすでに腹膜にがんが広がっていて、主治医から余命わずかと言われました。手術で完治すると信じて自宅に戻った義母に、そのことを告げずにいたことが、今でも正しかったのかしら、と思うことがあります。一緒に暮らしていた訳ではありませんでしたが、亡くなるまでの3ヶ月間は週に2,3回は顔を見に行っていました。
まだ寒いうちから、「最後に桜を見せてあげたいなあ」と漠然と願っていました。それは叶って、ターミナルケアの病室には、近所のお庭から失敬した桜の小枝を飾ってあげることができましたが、義母はもう花にも関心を示そうとはしませんでした。

さて、春は芽吹きの時です。自宅の窓から見える里山もだんだんと緑が濃くなって生き物のエネルギーに負けそうになります。私のカラダも、一度薬でダメージを受けた細胞が入れ変わってきています。たとえば、爪、髪の毛や眉毛、皮膚も新しくなってきたのがわかります。ついでに、目には霰粒腫(さんりゅうしゅ)という聞き慣れないモノが大きくなってしまったり(一時期、お岩さん状態)、先週末にはぎっくり腰になったり、と外の環境とカラダの折り合いをつけるのが難しい。

1月頃からずっと痰がからまったり、乾いたりの咳が続いていることに気がつきました。元々、アレルギーや緊張咳などがあって、10代から日常的に咳には悩まされていたので、家族も自分でも「またか。」と放っておいたのですが、一向に改善せず。だんだん、不安になってきました。

心配していても仕方がない、と先週、思い切って主治医のアポをとりました。今日はそういう訳で、久しぶりに病院の待合でパソコンに向かっています。電話の時から「既に65人の予約があります。お待ちになりますよ。」と言われていました。それにしても、65人!65人目の私の予約が3時半。8時から診察して一時間に10人。私なんかが、予約入れたらご迷惑ですよね、先生。主治医の先生の健康も心配になりました。