「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

杏姫とムササビ君のお話

それは本当に、偶然の出来事だったのです。でも、偶然が運命をつくるんだと、杏姫はこの頃感じています。

夏の初め、乳がん抗がん剤治療をしているお友だちが、「軽井沢に行くんだけど、一緒に来ない?」と誘ってくれたので、杏姫は二つ返事で「行きます!」と答えました。杏姫はちょうど仕事を辞めたばかりで時間はたっぷりとあったのです。気分転換もしたいし、お友だちは犬二頭と猫一匹を連れて行くっていうし、そのうちの一頭、おじいさん犬のジャンのことを杏姫は大好きだったし、軽井沢っていう響きにもちょっと心惹かれるし、一週間くらいの予定だっていうし、夏休みに持ってこいのお話ではないですか。

行って見ると、思った以上にいい場所でもありました。林は緑にあふれ、毎日のように野生のサルやら、イノシシやら、熊やらが出てきてくれるので、話題とイベントには事欠きません。だから、テレビなんかなくてもちっとも退屈しない、と杏姫は思いました。

薬の副作用でお友だちが寝込んでいるのは気の毒だけど、その間は犬と一緒に林を散歩したり、楽しくお料理をしたり、本を読んだりしながら、約束の一週間なんてあっという間に過ぎてしまいました。

その時。アメリカから夏休みで帰ってくるお友だちの息子の「右足首」骨折の知らせが舞い込んできたのです。それも、遊びで湖に飛び込んだら思ったより浅かった、とか…笑えません。

一週間分のお洋服しか持って来なかった杏姫は、ちょっと迷いましたが、「大丈夫です。私、軽井沢でアルバイト見つけますから、ここで一緒に夏休みを過ごしましょう。」と友だちに言ってみました。お友だちはどんなにか、ほっとしたことでしょう。治療で大変な上に、息子が松葉杖で、彼の面倒まで見なければならないかもしれなかったからです。

こうして、今度は病人に、けが人まで増えた三人の生活が林の中で始まりました。でも、それはそれで杏姫。昼間は子どもと遊ぶアルバイトをしながら、お休みの日は林の中の近所の住人たちとも仲良くなってお友だちをたくさん増やしていきました。

8月、お友だちの乳がん手術も無事終わって、松葉杖の若者もアメリカの大学に戻って、ご近所も人も三々五々に東京に帰って行きました。9月の軽井沢はきれいですが、少し寂しくなって来ます。

そんなある日のこと。前からちょっとだけ気になっていた、ムササビ君から電話がかかってきました。杏姫は二人でお話することがこんなに楽しくて、いつまででもおしゃべりできそうな気がしたことが、ちょっと信じられない気持ちでした。

秋になったら、東京に行って仕事を見つけるつもりだった杏姫は、はたと立ち止まりました。ムササビ君は、森の人です。これからもずっと、軽井沢で暮らすでしょう。

そして、杏姫は勇気を出してムササビ君に言います。「東京へは行きません。」ムササビ君は、少し照れて「嬉しい」と返しました。

さあ、周りのみんなは大喜び。杏姫のお父さんもお母さんも、ムササビ君のお父さんもお母さんも、手術したお友だちも松葉杖の若者も、その他の二人の森のお友だちも、犬のジャンまで。「やったー!」と大騒ぎです。

それから、それから、杏姫とムササビ君は、ゆっくりと愛を育んで、とうとう閏年2月29日に結婚しましたと、さ。

めでたし、めでたし。

撮影:ムササビ君