「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

100日の軽井沢

今思い出しても、抗がん剤治療は、長くて結構辛かったと思います。二種類の薬を4回づつ、合計8回の点滴を三週間に一度、通院で受けます。

副作用にはサイクルがあって、治療が終わるとその日と翌日、または翌々日までは平常でいられます。それから、その後は大変、大変。

「辛いのよ」と家族に訴えても、「どう辛いの?」
「どう辛いと言われても、辛い」
表現力がないのか。でも今まで、他の経験では味わったことがない「辛さ」。症状も一回づつ違うし、回を重ねる毎にだんだん自暴自棄にさえなりそうになりました。

副作用で一番の心配される「髪の毛が抜ける」とか「しびれる」とか「吐き気がする」は、まあ序の口と言わなければなりません。

治療が終わった後に、主治医が「良く頑張りましたね。三人に一人は途中でギブアップしますよ」。えー!最初からそれを聞いてれば、私も当然、その一人になっていたと思います。そんなに途中棄権する人がいるんなら、「止めます」はOKだったんじゃないですか。またもや、だまし討ちかあ。

小さい頃から、痛がりで、しょっちゅう身体のどこかが調子悪いだの、気分が悪いだのって言ってる子、というレッテルを張られていたので、この度も家族からは、「どうせ、またおおげさな‥」と相手にもされてなかったけど。

案外と自分は我慢強かったのか、と再認識して、ちょっと自信が。術前の化学治療も良かったのでしょう。癌が小さくなったのがわかったので、「もっと小さくなって。」と薬を受入れることができたから。

それでも、6回目の治療が終わった後は「もう一人で、寝てるのは限界。」と犬のお世話を買って出てくれた若いお友だちと暑くなった自宅を出て、軽井沢に移住しました。

犬二頭と猫一匹、私と同居人。涼しい林の中で、一週間の副作用の間だけ静かにやり過ごすつもりが、思いがけない事件が次々と続いて、結局は7月から10月はじめまで、ずーといることになってしまったのでした。