「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

父のための「サードオピニオン」

11月12日に書いた、「セカンドオピニオン」の続き。
S医大に行って帰ったら、夜を待たずに心配した両親から電話が入りました。「どうだった?」と母。

「どうだった?と言われても‥術前抗がん剤も、術後の抗がん剤治療も生存率に変わりがないらしい。その上、術前だったら癌が小さくなれば、手術も楽になる可能性があるし。最初の病院がなぜ、手術前の抗がん剤治療をあまりすすめなかったのかわからないけど。今日行った、S医大にしようかなあ。家から近いのが一番。」

ここで両親がそれぞれ、電話口で大合唱。「生存率が変らない訳ないでしょう。悪い物は一日でも早く取った方がいいに決まってる。癌は日々刻々大きくなっているんだから。」

単純明快です。ちなみに、父は今でも精神科の医者現役で以前は大学で教鞭を取っていました。

「でも、データ的には、そうなんだもの。術前抗がん剤治療って、今では乳がんでは一般的らしいし。明日の都立K病院に行くまでもないかも。どこでも『標準医療』っていうことで片付けられてしまう気がする。」
と私がいくら、しどろもどろに、お医者の言ったことを繰り返しても、父は一向に説得される気配がありません。だんだん、悲しみと怒りがこみ上げてさえきました。

「わかったわ。じゃあ、明日一緒にK病院に行って、お医者の言うことを聞いてみて!」

ということになり、翌日2011年1月6日の午後父と一緒に第二の「セカンドオピニオン」を聞きにK病院に行くことになりました。端から見たらまるで、父一人、娘一人、頼り合って生きているんだろうな、可哀想に娘さんが病気になってさぞかし高齢のお父さん、不安なんでしょうねえ、という図です。
それでも、誰か一緒に行ってくれるというのは、心強いことです。

都立K病院は、改装工事中ということもあって狭い廊下は、初診やら再来やら、検査やらの患者がひしめき合っているし、その中でお医者を待っているだけでぐったり。結局一時間以上待たされました。

約束の時間ぴったりにやって来た父に、友人が貸してくれた「乳がんインフォームドコンセントの手引き」を渡して、「ほらね。私の言った通りでしょ。術前でも術後でも抗がん剤治療は変らないのよ。」
本を読んだ父、「確かにデータではその通りだ。わかった。じゃあ、もう医者に聞く必要もない。帰ろう!」
こらこら。慌てて引き止めて、やっとやって来たお医者に呼ばれるままに、父と診療室に座りました。

乳腺外科のお医者、私の医療情報提供書を見るやいなや、
「今日は何を聞かれたいですか?これは、癌です。」

‥‥この場合、どのように返していいのか?「いやいや、そうだった、癌かそうじゃない病気かを判断してもらいたくて来る患者もいるはず」と新鮮な驚きを飲み込んで、「(父を説得してほしくて、)術前と術後の抗がん剤治療についてお伺いしたいです。」

説明は、ほとんど前日のS医大病院と同じでした。フムフムと後ろで、頷いて黙って聞いていた父は、手術の方針に触れたときだけ、妙にはっきりと「乳房は、いらないですから。」「ちょっと!」と私、唖然。

その話しの流れのせいか、全摘の場合の乳房再建(おっぱいって、「建てるもの」だったんです。)に関してお医者は詳しく話してくれました。

終わって部屋を出る前に、「先生、持ってきたMRIマンモグラフィーの画像は診なくてもいいんですか?」「あ、いや、データ変換が上手くいかないみたいで。ま、いいでしょう‥」

前日のS医大でも、画像は診てなかったなあ。

廊下に出た父は、満足げに「良い先生だった。さっき読んだ本に書いてあったことと全く内容が同じだ。」

あの、、「あの本」ってお医者向けの教科書だったんだけど。