「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

四ヶ月からのカウントダウン

「がん」という病名を告げられる時に、よく「目の前が真っ白になりました」という言葉が使われます。私が「乳がん」と告げられた時は、実際にはどんな顔をしていたのでしょう?

「ああ、今度は避けられなかった‥」と思った直後、頭が勝手に、知っている人の中で、乳がんを克服した人をサーチし始めていました。まずは妹。それから、あの人もこの人も、そういえばあの人の友だちも手術した、と言っていたけど、そうよ、今でも元気だし、手術した時だってたいしたことがなさそうで、仕事もばんばんしていたし、そう、そう。他には?他には?
「だから、大丈夫、大丈夫。」

でもその直後、自然に脳がスイッチして、身近で最近がんで亡くなってしまった人をリストアップしていきます。


姑は胃がんの手術から四ヶ月。
大好きだったお友だちのお母様も肺がんで半年。
乳がんが肺に転移して何年も治療を続けていた人は、あんなに元気だったのに20年ぶりに会った三ヶ月後にいなくなった。
やはり乳がんから肺に転移していたお友だちも、去年11月にお嬢さんを残して亡くなってしまった。
白血病で逝ってしまった23歳の美しい青年。
そして、乳がんの手術から四ヶ月で肺に転移が見つかって亡くなった大学のクラスメート。


ここで、脳内の電光掲示板がストップ。「乳がんが転移して四ヶ月」。

この間どの位の時間がたっていたのか、だぶんほんの数秒だったと思います。「四ヶ月あれば、」と考えました。「落ち着いて。今日とか明日とか言われた訳じゃあないんだから。四ヶ月はあるんだから。」

四ヶ月あれば、今やっている仕事も誰かにスムーズに引き継ぐことができるだろう、町会のお当番も三月で終わるから問題ない、沢山の人に会いたくない、本当に一緒にいたい人とだけ過ごそう、少しは身の回りの片付けなんかもできるかもしれない。日記は焼かなくちゃ。写真の片付けは?放っておこう、遺書も書く?..

「これから、どうなるんでしょうか?」と、やっとのことでお医者に聞く声は、さすがにかすれていたことを覚えています。「あの、一番長くてどの位かかるんでしょう?」

お医者は、どきっとしたような顔をして、「一番長くて??」と明らかに動揺しています。
「いえ、先生、生きるとか死ぬとか、とかいうことを聞いてるんじゃなくて、治療の長さです。」
お医者は胸をなでおろして言いました。「この病院で手術をするのであれば、約一ヶ月後に予約を入れることができます。入院は部分切除であれば2日間だけ。全摘出だと二週間。手術後に放射線治療抗がん剤治療は通院して受けられます。全部で数ヶ月でしょう。」
「4月に仕事で外国に行く予定があります。行けますか?」

「仕事の予定に合わせて治療をすることは可能です。お仕事をしていらっしゃるんですね。であれば、辞めることはしないでください。病気のことばかりを考えて生活するのではなく、仕事は続けてください。」濃霧の向こうに少しの光が見えたような気がして、勇気が出ました。

今日は、何気なく見守ってくれているご近所のおばさまから紅白のお餅をいただく。「知り合いの喜寿の内祝。皆が長生きしますように、って少しずつお裾分けね。」と。さりげない心遣いが嬉しい。