「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

生きてる「臭い」

12月29日の早朝、具合が悪くなってから二階には上って来なくなったギュネイが、ただごとではない勢いで私の寝室に駆け込んで来たことがありました。

「どうしたの?」と声をかけると、そのまままた脱兎のごとく、転がるように玄関へ。外に出してあげると、おしっこをしてしばらくは庭でぐったりしている。それを朝まで繰り返すこと3回。

呼吸は激しいし、苦しそうだし、水は飲みたいようですが、飲めなくて、横になることもできません。

朝一番で、主治医に電話すると、「炎症で、気道が狭くなっているのでしょう。近くの動物病院で酸素吸入をしてもらうか、でなければ、ともかくあごの下に枕のようなものをあてがって、身体が横にならないよう、両側に毛布で土手を作って。午後には、伺いますから。」「先生、苦しんでしょうか?」と泣きながら私。正直な主治医は、「ごめんなさい。わかりません。」と。

犬の場合、人間と違って首が真っすぐ上ではなくて、前足の前方に水平に伸びているので、水を飲もうとすると首が下に折られて、気道が圧迫されます。カラダを横たえることもできないし、伏せの姿勢はできますが、そのまま首を地面に下げると苦しいので、自力で重い頭を宙に浮かせています。

立っている方が楽らしくて、休んでもすぐに立ち上がって、うろうろとカラダの持っていきように困る様子です。夜中に、呼吸が苦しくなってパニックになり、「どうにかして!」と夢中で私の寝室に駆け上がって来たのかと思うと胸が痛みました。

運動の後以外で、犬が口で呼吸するのは相当なことです。主治医が来てくれる午後遅い時間まで、ギュネイは庭先で苦しそうに口で息をしていました。「ギュネイの臭いがいつもと違う」とエリカ。

このまま、いつまでも苦しい彼を見ていることはできないので、息子とは「楽にしてあげることも考えなければいけないかもしれない。」と話し合いました。

待ちに待ったに主治医の車が停まったときには、覚悟を決めて「先生、ともかく眠れるような注射をしてあげてください。」と迷うことなくお願いするつもりでした。

そんな私には見向きもせずに、主治医はギュネイの姿を見るなり、「首が疲れてしまうので、まずは枕をちゃんと首の下に。脱水症状が出ないように、点滴。24時間眠っていない?心臓疲労で死んでしまってはいけないので、安定剤も。」と、テキパキと処置をすすめていきます。ステロイド剤、利尿剤、気管拡張剤…

本当に簡単なことですが、首をクッションに乗せられて(犬の頭って結構重いので、自力で空中に頭を維持させるのは大変だったと思います)、気道を確保できたところで、ギュネイも私たちも5割ほどカラダと心が楽になって、点滴が終わった頃には、8割方落ち着いてきました。

さっきまで、「安楽死」のことまで思い詰めていたのに。

点滴の後、ウトウトしてから1時間後には水を、その1時間後にはご飯を食べられるまでに回復しました。

フィリピン生まれのエリカは水を飲んだ瞬間に「ギュネイの体臭が変った!もとの臭いに戻った!」と叫びました。

琉球犬は、犬の体臭が薄くて、獣くさくなくて、その臭いを「お日様の臭い」とも「草原の臭い」とも表現する人がいました。

それからギュネイが死ぬまでの毎日、エリカは朝一番でギュネイの臭いをクンクンして、「今日は、元気だねえ」と健康チェックが日課になりました。