「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

絶滅危惧種??(いえ、失礼)

大型の台風15号が首都圏を直撃した9月21日に、都心、皇居近くの循環器科の主治医を訪ねました。乳がんの発見、抗がん剤治療中、ずっと受診していなかったので約10ヶ月ぶり。3年程前から血圧が高くて、お薬をもらっていたのです。よくよく考えてみたら、地下鉄に乗るのさえ、半年ぶりでした。これには、我ながらびっくり。

話しはそれますが、私が高血圧になった時、友だちの宝塚ファンの美人さんは、「いやーだ。それは、いい女がかかる病気じゃないわ。格好わるい。」と京都弁ではんなり嘲笑ってくれました。「いい女は、もっと線が細そうな病気にならんと。」
うーん、確かに、「高血圧」って脂ぎった腹ぼて中年のイメージ。が、しばらく後に、当のご本人が「痛風」の発作のようなものを起こしたことが分かって、「高血圧より、痛風の方がもっと、酒飲みオヤジっぽくない?」と見事に逆襲完了。
その線でいくと、「乳がん」ってどういうイメージをもたれているのかしら?

血圧の主治医に話しを戻します。先生は、「超」がつく程のベテランでその道の権威。私の血圧を計りながら、一見無駄で関係ないようなおしゃべりを延々。でもちゃんと患者の顔色や様子を見ていて(たぶん、)、後で思い出すと妙に納得のいく話しをしてくれていた、そんな方です。診察中は、漫談を聞いているようで笑いっぱなし。
「ご無沙汰しております。」
「で、どうなの。左胸は?」(私、電話で左胸って言ったかしら?)
「お盆に、無事手術が終わりました。左胸は全摘で、リンパ節も廓清したんですけど、先生!(手術後の検査結果で)リンパ節のガンは無くなってたんです。取って損しちゃった、です。(苦笑)」
先生は、私の言ったことをまるで、聞いているのか聞いていないのか…(耳が遠くて実は、よく聴こえていないということもあるらしいのですが、)あらぬ方を見ながら、
「ここまでが『ガン』っていうように、普通の細胞との境界がはっきりしていれば分かりやすい、が、実はどこまでが『ガン』なのか、と線を引くのが難しい。何センチなんていっても、形もまちまち、グレイの部分をどこまで『ガン』とするか、っていうのは決められない。ステージIII だのIIだのと言ってるが、どっちに入れるのかわからなくって、IIのbを作ってみたり…」
「先生、まさに私がそのII b だったんです。」(私、II b って前に話したっけ?)
(再び、聞いていない風)
「医者っていうものは、自分や家族の病気は怖くて診られないものなんだよ。私の弟も医者だが、自分の病気のことは皆私に聞いてくる。家内なんか、『うちには一人余計に孫がいる。』なんて私のことを言う。」
「あ、それです、先生。私の父は、『治療法に迷ったら、主治医に、“ご自身の奥様だったら、どうしますか?”って聞きなさい』って言うんですが、どう思われますか?何だか、おかしな質問だと思うんです。今のお話でも、この質問は意味をなしませんよね。」
(ちらっと私の目を見てから、)
「私も、何十年も前に大腸ガンをやって、手術をしたら、あちこちと転移をしてた。こりゃあ駄目だって言うんで、医者は、『退院したら、好きなことをしなさい』と。それで、世界一周旅行に出て、コペンハーゲンチボリ公園、あの24時間やってる遊園地。あそこで、バイキング船の乗り物にのってガーッと揺られたら、腸閉塞になっちゃった。日本に帰ったら、医者に怒られたよ。」
「はあ…」
「ちょっと、脈拍が速いねえ。人間の血圧なんて、一日のうちでも、随分違うものなんだ。じゃあ、今までの薬でいいから、自分で量を調整して飲んで下さい。はい、ではお大事に。」
昭和も一桁、旧帝大最後のお医者です。こういう名医は、だんだんと少なくなってしまうのでしょうか。