「日本のおっぱい」乳がんダイアリー

2011年乳がんになりました。

拝啓 木立玲子様、

昨日(9月6日)、手術後初めての執刀医の診断があり、摘出した組織の病理の結果がわかりました。手術は、無事に終わり、眼に見える悪い部分は切除されたことが伝えられました。ガンは「治癒」ということがないので、まずは一区切り、というところでしょうか。

木立さんの名著「パリのおっぱい、日本のおっぱい」が書かれた頃とは違って、今や日本でも、カルテは全てオンライン化しています。診察中に病理結果をそのままプリントアウトして渡されますので、患者は自分の病気に関して、ストレートな科学的説明を受け止める覚悟と、読解力が必要です。そこには、何の容赦も優しい表現もありません。まるで宇宙人語を目の前にしたような素人に、分かりやすい解釈、そして患者を前向きにさせてくれる励ましのスパイスをちりばめてくれるのが、専門家のお医者や看護士の方の役目です。

昨年末に乳がんが見つかった時以来、よく木立さんのことを思い出していました。ブログのタイトルを、著書の一部からいただいた位です。もう、10年以上も前ですね。木立さんの最初の乳がんのエッセー「フランス流乳がんとつきあう法」に出会った時の印象が余りに強かったからです。巷にあふれる感動大安売りの闘病記が苦手だった私の認識をくつがえさせてくれ、乳がんという病気をジャーナリスティックに教えてくれ、何よりも毅然と素敵な生き方を披露してくれました。

その頃の私は、未熟で他人への想像力も足りずにいて、木立さんの知的なバランスの良さや、情報収集力、包容力にばかり気をとられ、ただただ同じ女として憧れていただけです。その陰で、ご自身の病気が、どんなに悲しく、辛く、苦しかったか、そしてそれらをどうやって克服していったかということまでは思いがいたりませんでした。

友人や知人が心配してくれ、ガンの関する沢山の本を貸してくれたり、プレゼントしてくれたりしましたが、今までは机の上に積んであるだけで、全く目を通すことができませんでした。主治医や身近なガン経験者の話しを聞くだけで、いっぱいいっぱい。広く情報を集めることで、目の前にいてくれる信頼している人たちの言葉を理解できなくなることが怖くて、文字で入ってくるものはほとんどシャットアウト。必死でお医者の話しを聞くことに集中していました。

木立さんの本も「読み直したい」という気持と「いや、今は読めない」という気持が錯綜し続けた数ヶ月でした。その呪縛も、昨日の「一区切り」後ようやく溶けたような気分です。外に目が解放された時に、ひもとく最初の本は、「パリのおっぱい、日本のおっぱい」です。